ウィットあふれる自己紹介のあと、私たちが知らなかった事実が次々と明らかにされました。以下は辛淑玉さんの講演の一部です。
3月11日以降、社会はとても大きく変わった。私はこの半年間、被災地に多く関わってきた方だと思う。
3月11日、三つの大きな地震が同時に来た。津波が来て、火災が来て、そして原発の事故。津波は高い所では40メートル近くに達した。 今まで、カンボジアとかいろいろなところに行ってきたし、阪神淡路大震災も見たけど、今回は別格。言葉は悪いが、一面に産業廃棄物が不法投棄されたような景色が延々と続く。
初期の頃の被災地では、アスベストなどで一日で胸がやられるし、物を運んでちょっと傷がついただけで腕がぼーっと腫れたり、大変な状況。津波では、重油、化学薬品からご遺体まで、あらゆるものがごちゃ混ぜになる。素人が簡単に対応できるような状況ではなかった。
東京は、最初はパニック状態。パニックでは必ずマイノリティが叩かれる。朝鮮人が警官を殺している、中国人が泥棒しているという噂が飛び交った。そんな中、私が被災地に行かなくちゃと思ったのは、友人の宋神道(ソン・シンド)さんが東北に住んでいたから。ご存じの方もいると思うが、軍用性奴隷とされて生きてきて、あえて声を上げた在日一世の女性。
ところが、必死で探したのに一週間経っても二週間経っても見つからない。彼女は実は避難所にいた。避難所にいたのに探せなかった。名簿も公開されていたのに見つからなかった。なぜか?
宋さんは日本名を使用していた。きっと怖かったんだと思う。
宋神道という名前で国家と戦ってきた。その強い彼女が、避難所では日本名を書いていた。ああって思ったのね。彼女は裸足で逃げたそうです。耳が遠いので、いろんな情報も入りづらかったはずだ。
今回の震災で、社会が障害となっている人たちの死亡率は健常者と言われる人の3倍。外国籍住民は入国管理のところでしか分からないので、どれくらい出国したかのデータを見なければ、状況が分からない。
亡くなった方は約1万6000人、行方不明者が5000人というけれど、報道されている被災者の中に外国籍住民はほとんど入っていない。被災地にいた外国籍の人は約9万人。そのうち、分かっている死亡者の数は23名。どれだけ行方不明でどれだけ死んだかも分からない。在日の団体によると、何十世帯かが親も子も含めてすべて音信不通だという。(6月の段階で)
ソフトバンクの孫正義氏は在日二世(日本国籍)。彼が震災後、個人資産の100億を寄付すると言った。毎年約2億の会長職の収入も寄付すると言った。楽天の三木谷氏、ユニクロの柳井氏は10億円の寄付で、孫さんは10倍の金額。
私の周りの二世の先輩たち三人が同じことを言った。「保険だ」と。「孫正義は保険をかけてくれた」と。
関東大震災のとき、朝鮮人が約7000人近く虐殺された。未だに真相究明はなされていない。私たちの祖母の世代には関東大震災の経験者がいる。二世はその姿を見て育ってきた。だから日本の社会がパニックになった時、そこにいるマイノリティは不安がこみ上げてくる。
孫さんは、日本人として当然なすべきことをしたと言ったが、多くの在日は、彼の行為をさまざまな思いで受け止めたのだ。
震災の直後、女性の電話相談が開設された。ドメスティック・バイオレンスや性被害に対する電話相談を受け付けていたが、2月8日から3月27日までの間に、全国で計2万件の相談が寄せられた。特徴的だったのが、震災後の停電の時に強姦されたりひどいことをされた女性たちからの電話が相次いだこと。
阪神淡路大震災の時も、実はたくさんの性暴力があった。でも表に出てきて問題になったのはやっと10年後。一般の社会でも同じ。声を出して言えない。今回の被災は、爆発的な、桁違いのすさまじい被害。これからどれくらい性暴力被害が表に出てくるのか。
被災地には共通した行動様式がある。被災地、仮設住宅、いろんなところに行ったけど、ほぼ同じような傾向が見られた。それは、どこでも男の人が荒れているということ。
震災と津波と原発事故で、多くの男は、自分が持っていたすべてのパワーを根こそぎ奪いとられた。家も、仕事も、未来も。
今までキラキラしていたお父さんがみっともなくなっていく。夫が落ちぶれていく。
でも、それを一番認められないのは彼ら自身。だから、寝ているか、酒を飲んでいるか、暴れているか、になる。自分を確認する作業、「男」を確認する作業として、「暴力による支配」が始まる。
抑圧された時、人は、そうやってバランスを保つのだろう。
沖縄で、女性に対する暴行殺人が増えるのは、決まって、過酷な戦場から兵士が戻ってきた時だ。戦場で恐怖におののいた弱い自分を払拭するために暴行やレイプが頻発するという。
日常的に共生の基盤がないところでは、非常時にはどうしても熾烈な生存競争が起こる。強者を基準にした対応しかできないのだ。
例えば、やっと避難所にたどり着いた耳の不自由な人が、具合が悪いことを伝えられずに避難所で死んでいった。
社会が障害になっている、多様な個性のある子どもたちは、避難所に来ることも、いることも許されなかった。目の不自由な人は、避難所では到底生活ができなかった。
その結果、少なからぬ人たちが車の中での生活を強いられた。行けるところなどない。そして、緊張と、不安と、疲れとでストレスがたまり、そこから、結果として「虐待」が始まってしまう。親も子も壊れていくのだ。
さらに、まったくサポートを得られなかった要介護者とその家族、介護関係の人たちは、底知れぬ地獄を味わった。
そういうことが語られることもなく、美談ばかりが報道されて今日に至っている。
日本のマスコミを見ていると全くおかしいと思う。南三陸で、防災無線で避難を呼びかけながら自身は津波に呑まれて事切れた遠藤未希さん。彼女のことがものすごい美談として取り上げられている。ナンセンスだと思う。死ぬまで頑張れというのか。彼女だって生きたかったはずだ。どれほど無念だったろうか。彼女も助かり、住民も助かる方法はなかったのかをどうして、詰めて行かないのか。
彼女を美談として扱い、原発事故が怖くて移動した地方自治体職員は処分された。特攻隊のような姿を賛美する社会では、彼女も浮かばれないだろう。
避難所で自治体職員はサンドバッグ状態に置かれている。「お前はいいよな、俺たちのことやりながら金もらって」と。日本の政治家は、公務員を叩くことによって支持を得てきた。でも、弱者を最後の局面で支えているのは地方自治体の公務労働者だ。私が政治家だったら、「この危機的な状況だから、俺がどんなことやってもお前たちを守るから、この人たちを支えてくれ」と言うだろう。
福島の立ち入り禁止区域、ここに人が戻れるようになるためにはどのくらいの年月かかるか。核の専門家が、100年経っても無理ですと言う、そこのエリアに日本政府は人びとを帰そうとしている。そうであるなら、まず、政府の中枢機能とか経済産業省をここに持って来るべきだろう。
原発は原爆と一緒。日本はウラニウム原爆とプルトニウム原爆を落とされた。二つの、世界史的な人体実験だった。憲法9条は戦争を放棄したと言われるが、放棄するとうたったが故に、武器がない不安から、自分たちも核を持ちたいと思った。憲法9条を持ちながら核を持つには、原発を持てばいい。原発は原爆と一緒。そうやって核を持ち続けてきた。そして今回の事故。おそらく、人類史上最も壮大な人体実験になるのだと思う。
被曝は遺伝子を傷つけることがある。子、孫と、世代を超えて被害が出てくる可能性は否定できない。そこで起きているのが福島差別。例えば、ある民間のがん保険は、今後、ガンの発症率が高いと推定される福島では、内部通達で売り止めがかかっているという。
助産師によると、中絶が増えているという。そして、最も多く起きているのが結婚差別。 福島差別は、部落差別、被曝二世三世に対する差別、水俣病差別と同じ差別だ。日本の中で何一つ克服できずにきた差別が、ここに集約されて出ている。
これを超えられるか?超えなければならない。超える方法は何か。みんながほんの少しずつ自分の持っているものを分かち合う。今まで差別を受けてきた人たちは、何が辛かったのか、声を出して伝える。声に出さなければ思いは伝わらない。私は部落の人によく言う。もっと声を上げようよ、もっと辛いと伝えようよ、と。
9条は2000万人のアジアの民と日本人300万人の血の代償としてもたらされた。だから守らなければならない。しかし、日本人は、戦後一貫してアジアとの関係をまっとうに築いてこなかった。国家に対しても、まともな被害者として向き合ったことがない。アメリカに対しても向き合ったことがない。
暴力で問題を解決しようとすることが社会を暗いものにしている。9条をしっかり心に刻むというのは、単に非暴力というだけでなく、たとえ殺されても自分は殺さないという覚悟を必要とする。だから私は闘うために口を、言論の術を磨く。
私の父は大正生まれ。儒教的で、私が口答えすると、鼻血が出るまで私の口を叩いて、「おまえは、今にその口で身を滅ぼす」と言ったが、今、その口で私は身を立てている。これが憲法9条の生き方。私自身が歩く憲法だと思っている。これ以上の不幸を招かないためにも、日本で一番口の悪いババアになろうと心を決めている。
以上 |