HOME会について|イベント|活動報告リンク集

イ ベ ン ト の ご 報 告

◆さまざまなものを超えて「九条」という一点で集う◆



「武器よ、さらば ‐人は何のために生きるのか‐」
富山妙子さん、Swing MASAさん 講演・演奏 
第8回集会:2010年10月9日実施 報告。

    
主催者より富山さん、MASAさんの紹介         講演する富山妙子さん            演奏するSwing MASA さん  

 スライド上映の一部


本、CDを販売しました

 今回の第8回集会を10月9日(土)に都久志会館で開催いたしました。今回は画家の富山妙子さんとジャズサックス奏者のSwing MASAさんのコラボ競演という福岡女性九条の会では初めての斬新な企画でした。お二人の競演が決まって以来、会員有志は熱意を持って会の準備に当たってきました。
 いざ、開幕。オープニングの薔薇の映像とバックに流れるMASAさんの「ラビアンローズ」のメロディーが一瞬にして観客の目と耳を奪います。高度な演出でした。
続いて富山さんに体験者にしか語れない戦争の悲惨さをお話ししていただきました。短い時間ながら無駄のない冷静で客観的な語り口でした。自らの「在満日本人」(在日朝鮮人になぞらえた表現)としての加害性なども見据えながらのお話に、画家としてのご自身の人生についての深い思いが込められていました。以下、富山さんのお話の要約です。


 私は満州で少女時代を過ごした。あの時代、男女は別々の世界で、それはイスラムの世界ほどひどかった。美術の世界も、当時の模範的な絵画に反発していた私はアバズレと呼ばれ、女の描く絵は正当に評価してもらえなかった。戦争直前までは日本の若者たちはギリシャ哲学やドフトエフスキーなどを読んでいたのに、戦争となると急変し、いかにして天皇のために死ぬかという、また命を「桜の花」のようにパッと散らそうという非論理的な美学へと傾いていった。世論統制も厳しくなり、社会主義の「社会」という語、「赤」「分子」という語などが危険視され、多くの本が発禁になった。
 私の「キツネ物語」は戦争が始まって以来、国民がいかに「キツネ」に化かされてきたかを描いている。例えば、「キツネの嫁入り」の絵では、兵士たちが出征していく直前に結婚し、そうすることで嫁に自分の親の面倒を見させ、子孫を残すというキツネに化かされた制度を描いている。
 戦後も「キツネ」と「菊の花」が国民を化かし続けた。神武景気も「愚者の楽園」的様子を呈した。国民は菊の花の下にいると安心し、ご褒美がもらえると錯覚した時代が続いた。好景気時の日本人男性のタイへの売春ツアーなどに見られるように、日本人はアジアの人々の悲しみを知らない。このようなモチーフで描いた私の絵は当然社会からうとまれ、ギャラリーからも締め出された。最近の社会では、ますます描きづらくなったが、かろうじて描いている。私は生きるということは自分の胸にあることをやることでしかないと思う。最近は全作品の展覧会をしたり、それをスライド化したりして、日本より国際的に評価されるようになった。
 私は自分が今うまく死ねるかということに思いを致すとき、そのためには「アジアとの和解」のため、時代の腐葉土になって、歴史をきっちりと伝えて死にたいと思っている。アジアの戦争の犠牲者の一人一人の「悲しみ」がなくなるまでは戦後は終わらない。
 男性の画家であれば戦争のことは一通り描き終わったのかもしれないが、私の心にはいまだに悲しみが浮かび上がってくる。私が見てきたアジア植民地の歴史を1945年にもどして、その歴史を伝えたい。私には女として鉛のような恨み(ハン)がある。私はシャーマン的な仕事、すなわち死者を呼び起こし死者と生を結ぶ仕事をしたい。もしこれをしなかったら、人生を後悔したであろう。私にはこのような生き方しかなかったと思う。


講演に聴き入るみなさん 

 富山さんのお話に続いて、絵の映像を流しながら、MASAさんに演奏していただきました。即興的かつ融通無碍な演奏で、絵が象徴するものを強くアピールする効果がありました。富山さんの絵に対するMASAさんの深い理解と共感とがすばらしい演奏を実現させてくれたのでしょう。国歌や童謡のメロディーを即興的にパロディー化した演奏は他の演奏者の追随を許さないレベルの高いものでした。
 このようにお二人の心がひとつに融合する中、集会は満場の拍手で幕を閉じました。      (記、藤江)


おかげさまでカンパもただきました


イベントのページへ
このページトップへ
HOME へ

お礼を述べる主催者と出演者


ありがとうございました。

福岡女性九条の会
事務局:福岡市中央区天神、女性協同法律事務所内 TEL.092-751-8222 FAX.092-751-8220